ついったーでも書いてたのですが、「誰かの作品に触れることが、その誰かの魂の一片に触れることだと思う瞬間」が時折訪れます。絵でも音楽でも小説でも。魂っていうとオオゲサですかね、なんだろ、その人を理解したのとはちょっと違うかな。「メッセージをうけとった」という感触なのかもしれない。作品に触れて、そこから自分の言動や、誰かがくれた言葉を思い出すこともある。自分の内面にあるものと共鳴したような。そこから思考や感情が植物のようにのびていくような。
その人が伝えたいこと、が正しく届いたかどうかは分からない。もちろん、そうだったらとても素敵だけど、受け皿の形でメッセージの意味は少なからず変化すると思うから。
だから、自己の一部分との共鳴がいちばん近いかも。自分の経験した楽しいこと嬉しいこと悲しいこと、人づてに聞いた事象、想像した未来、そういうものが全部自分のなかに感情を伴って保存されていて、それが揺らいで水面までふわっと浮かんできて、ああ、と思って、涙が流れたりする。
だから結局は自分の中のことだけど、でもなんとなく「魂」という強い言葉を選んだのは……なんだろうな、圧倒される、溢れかえるような感じ。いま自分のなかにあるこの感情を、ひとことで表してしまうのが本当にもったいなくて、収拾つかなくて困っちゃって、困りながら文章を書いています。
デザイン×音楽という試みは素敵だと思いました。創ったものが誰かに響いて、作品になって、それがまた誰かに響いて、そうやって連綿と繋がっていく。
知らず知らず見たもの聴いたものに影響を受けているように、自分の創ったものが誰かに響いているかもしれない。コミュニケーションのなかでも、そんなの当たり前のことだけど、普段から気を遣えてるかというと……わたしまだまだです。素敵な歌を聞くと、もっと言葉を大事にしようと思います。コミュニケーションは1対1だからこそ、言葉は強く響いていると思う。そして、いつか自分に戻ってくる、と思うから。
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もっともっと色々なことを考えていましたが、これ以上やるとアレなのでおしまいにしようと思います。いいことのひとつも言えないだろうし、なにせ長いし、こんなんブログに書いていいのかなーやめとこーかなーと思い始めたので、投稿しちゃって寝ちゃうことにします。
素直に「感動した!」って言えばいいのにね。今日は咲さんと初めて話したのですが、口下手発動して言いたいことの半分も言えずに帰り道ぐあーってなってました。頭ぐるぐるしてたのもありますが、それにしてもチキンだわ。アンケートにはよくサカナの絵を描くけど、今度から鶏の絵にしよう。
この長い文章に最後までお付き合い下さった方、ありがとうございました。