2011/11/07

クラシックな話

長いこと、本当に長いこと書いていなかったブログですが、久しぶりに書こうという気持ちが出てきたので、いつもどおり書きたいことを書きたいように書きます。
前置きはさておき。


音楽のなかで、クラシック(及び吹奏楽)は異次元のものみたいに思われてるような気がするんです。あとクラシック出身のバンドの人達もですが。私も吹奏楽出身であるのでそういう違和感によく出会います。私たちは別に宇宙人じゃないです。

クラシック出身者は基礎が出来ている、よく練習する、ピッチが良い、などと言いますが、バンドマンだってよく練習するし基礎どころか音楽理論まで勉強してる人だっているし、とんと練習しないクラシック出身者だっている。ピッチ悪いのを楽器のせいにばかりする人だっている。平均取ればそんなに変わらないんじゃないかしら。
だから、そうイメージというのはクラシックや吹奏楽の音楽がもっている、「固い」イメージからきているのだろうと推測しています。

固い、とはどういうことか。クラシックという音楽は簡単にいえば「自由じゃない音楽」だと思われている、かな。前置きとして「音楽は自由であるが、」というのもつけたらいいでしょうか。「音楽は自由であるが、クラシックは自由ではない音楽だ(あと長いし眠たい)」

クラシックにもジャズ等のトラディショナル音楽を演奏する場合と同じく、「曲の解釈」という概念は存在します。指揮者やオーケストラによって表情違ったりします。確かに「アドリブ」と楽譜に書いてある所以外では適当やっちゃいけないルールはありますし、演者個人個人の表現したいことが全体の表現を左右することは少ない。でもルールがあるのはどんな音楽だって同じ。決して「楽譜通りに言われたことをやってるだけ」じゃないのです。ルールが厳しいだけで。

まあ、クラシックや吹奏楽の演者がほとんどの場面で「創造者ではない」というのは確かです。それに関連して、そのですね、クラシック出身者には私含め全くアドリブがきかない人が少なからず居るため、「この人クラシック出身だから」っていうのはもしかしたら遠まわしなスラングだったりして……なんて思ってたりとか。被害妄想だといいけど……。でもロボットが演奏してるのとは絶対に違う。違うんだから。

ああ、でもきっと、既にあるものの解釈よりも創造のほうが偉いというのはあるでしょうね。「芸術」はそうでなくてはならないのか、それとも現代の風潮なのか、それとも……?「芸術とは何か」まで考えだすと私のちっさい脳ではちょっと足りないので、専門家に任せたいと思います。そろそろ煙吹きそうです。やめときます。

わかりにくいだろうし、偉そうなこと言ってすみません。きっと私自身にも偏見や思い違いはあると思います。ただ、私だって「いちミュージシャン」であるからして、「クラシック出身だからどうのこうの」という余計な付加価値(付けたい価値が高いか低いかはともかく)はあんまり、そのね、いらないんじゃないかなーっていうだけでした(説明するのに便利だけども)。「アドリブぐらいそろそろ出来るようになれよ!」って言ってください。そしてアドリブできなくてごめんなさい。


さいごにおまけで、おすすめ吹奏楽曲の動画を貼っておしまいにしたいと思います。これが私の好きな曲。どっちも作曲者はJames Barnesという人です。この人の書く曲はとても格好よいのです。






↓2つ目の動画の曲は、このアルバムに入ってます。演奏は陸上自衛隊中央音楽隊。

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