2011/11/12

響き

日付的には昨日のことなのですが、竹下咲×朝香智子ワンマン、「君と僕のかたちのない世界」@Soap Opera Classics に行ってきました。実は5月に同じ場所で見た「朝香誕生祭」が竹下咲×朝香智子のステージを見た初めてで、今回は2回目。ライブの感想書くつもりなんですが、文章で書くの難しすぎてどうしたもんかと既に悶絶してます。かっこよかった、とか、あの歌がすき、とか思ってるんですが、そんな言葉じゃなくてもっと複雑な気持ち。何回も書いては消して書いては消してしてるので、もう感想なんか書くのやめて、いま頭のなかに渦巻いていることを書こうと思います。あんまし音楽とか関係ないんですが、今日があったからこそ考えていることです。

ついったーでも書いてたのですが、「誰かの作品に触れることが、その誰かの魂の一片に触れることだと思う瞬間」が時折訪れます。絵でも音楽でも小説でも。魂っていうとオオゲサですかね、なんだろ、その人を理解したのとはちょっと違うかな。「メッセージをうけとった」という感触なのかもしれない。作品に触れて、そこから自分の言動や、誰かがくれた言葉を思い出すこともある。自分の内面にあるものと共鳴したような。そこから思考や感情が植物のようにのびていくような。

その人が伝えたいこと、が正しく届いたかどうかは分からない。もちろん、そうだったらとても素敵だけど、受け皿の形でメッセージの意味は少なからず変化すると思うから。
だから、自己の一部分との共鳴がいちばん近いかも。自分の経験した楽しいこと嬉しいこと悲しいこと、人づてに聞いた事象、想像した未来、そういうものが全部自分のなかに感情を伴って保存されていて、それが揺らいで水面までふわっと浮かんできて、ああ、と思って、涙が流れたりする。

だから結局は自分の中のことだけど、でもなんとなく「魂」という強い言葉を選んだのは……なんだろうな、圧倒される、溢れかえるような感じ。いま自分のなかにあるこの感情を、ひとことで表してしまうのが本当にもったいなくて、収拾つかなくて困っちゃって、困りながら文章を書いています。

デザイン×音楽という試みは素敵だと思いました。創ったものが誰かに響いて、作品になって、それがまた誰かに響いて、そうやって連綿と繋がっていく。
知らず知らず見たもの聴いたものに影響を受けているように、自分の創ったものが誰かに響いているかもしれない。コミュニケーションのなかでも、そんなの当たり前のことだけど、普段から気を遣えてるかというと……わたしまだまだです。素敵な歌を聞くと、もっと言葉を大事にしようと思います。コミュニケーションは1対1だからこそ、言葉は強く響いていると思う。そして、いつか自分に戻ってくる、と思うから。

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もっともっと色々なことを考えていましたが、これ以上やるとアレなのでおしまいにしようと思います。いいことのひとつも言えないだろうし、なにせ長いし、こんなんブログに書いていいのかなーやめとこーかなーと思い始めたので、投稿しちゃって寝ちゃうことにします。

素直に「感動した!」って言えばいいのにね。今日は咲さんと初めて話したのですが、口下手発動して言いたいことの半分も言えずに帰り道ぐあーってなってました。頭ぐるぐるしてたのもありますが、それにしてもチキンだわ。アンケートにはよくサカナの絵を描くけど、今度から鶏の絵にしよう。

この長い文章に最後までお付き合い下さった方、ありがとうございました。

2011/11/07

クラシックな話

長いこと、本当に長いこと書いていなかったブログですが、久しぶりに書こうという気持ちが出てきたので、いつもどおり書きたいことを書きたいように書きます。
前置きはさておき。


音楽のなかで、クラシック(及び吹奏楽)は異次元のものみたいに思われてるような気がするんです。あとクラシック出身のバンドの人達もですが。私も吹奏楽出身であるのでそういう違和感によく出会います。私たちは別に宇宙人じゃないです。

クラシック出身者は基礎が出来ている、よく練習する、ピッチが良い、などと言いますが、バンドマンだってよく練習するし基礎どころか音楽理論まで勉強してる人だっているし、とんと練習しないクラシック出身者だっている。ピッチ悪いのを楽器のせいにばかりする人だっている。平均取ればそんなに変わらないんじゃないかしら。
だから、そうイメージというのはクラシックや吹奏楽の音楽がもっている、「固い」イメージからきているのだろうと推測しています。

固い、とはどういうことか。クラシックという音楽は簡単にいえば「自由じゃない音楽」だと思われている、かな。前置きとして「音楽は自由であるが、」というのもつけたらいいでしょうか。「音楽は自由であるが、クラシックは自由ではない音楽だ(あと長いし眠たい)」

クラシックにもジャズ等のトラディショナル音楽を演奏する場合と同じく、「曲の解釈」という概念は存在します。指揮者やオーケストラによって表情違ったりします。確かに「アドリブ」と楽譜に書いてある所以外では適当やっちゃいけないルールはありますし、演者個人個人の表現したいことが全体の表現を左右することは少ない。でもルールがあるのはどんな音楽だって同じ。決して「楽譜通りに言われたことをやってるだけ」じゃないのです。ルールが厳しいだけで。

まあ、クラシックや吹奏楽の演者がほとんどの場面で「創造者ではない」というのは確かです。それに関連して、そのですね、クラシック出身者には私含め全くアドリブがきかない人が少なからず居るため、「この人クラシック出身だから」っていうのはもしかしたら遠まわしなスラングだったりして……なんて思ってたりとか。被害妄想だといいけど……。でもロボットが演奏してるのとは絶対に違う。違うんだから。

ああ、でもきっと、既にあるものの解釈よりも創造のほうが偉いというのはあるでしょうね。「芸術」はそうでなくてはならないのか、それとも現代の風潮なのか、それとも……?「芸術とは何か」まで考えだすと私のちっさい脳ではちょっと足りないので、専門家に任せたいと思います。そろそろ煙吹きそうです。やめときます。

わかりにくいだろうし、偉そうなこと言ってすみません。きっと私自身にも偏見や思い違いはあると思います。ただ、私だって「いちミュージシャン」であるからして、「クラシック出身だからどうのこうの」という余計な付加価値(付けたい価値が高いか低いかはともかく)はあんまり、そのね、いらないんじゃないかなーっていうだけでした(説明するのに便利だけども)。「アドリブぐらいそろそろ出来るようになれよ!」って言ってください。そしてアドリブできなくてごめんなさい。


さいごにおまけで、おすすめ吹奏楽曲の動画を貼っておしまいにしたいと思います。これが私の好きな曲。どっちも作曲者はJames Barnesという人です。この人の書く曲はとても格好よいのです。






↓2つ目の動画の曲は、このアルバムに入ってます。演奏は陸上自衛隊中央音楽隊。

2011/01/04

ガントリークレーン

新年早々ぶっ飛んだ話をしますが、私はこいつが大好きです。

ガントリークレーン。主要港では必ず見ることが出来る、キリンっぽい巨大クレーンです。1月2日に遠方の(って言っても府内ですが)神社に初詣に行きまして、その時に湾岸線を通ったんですよ。大阪港なんかでは大体遠めアングルのガントリークレーンが近い!! たぶん堺港あたりです。こういう巨大建造物につい心惹かれてしまいます。窓に釘付け。ジャンクションとか……工場地帯とか……。こういう変なものにミーハーです。女子の言うことじゃないな。。。

そういえば、ガントリークレーンがコンテナ上げ降ろししてるとこ見たことないなあ。かっこいいんやろな~。見たいな~。誰か連れてってくれへんかな~(他力本願)。もし車の免許持ってたら、ひとりドライブとかするんでしょうかね、私。夜の散歩とかするくらいだし。でもクレーンに見惚れてて事故りそう(笑

2011/01/02

2011 新年のごあいさつ

あけましておめでとうございます!
近頃ブログをずっと放ったらかしにしていましたが、そろそろ再開させようかな~と思いきってブロガーに移転してみました。今年もどうぞよろしくお願い致します。

最近の近況など
◆水族館
年末ついに、ずっと行きたかった海遊館に遊びに行きました。ペンギンの行進にうっとりしたり、でかい魚におどろいたり、サメやマンタを触ってみたりと最高の一日でした。また詳しくレポート書こうかしら。
◆新コート
5年以上愛用していた黒いコートとさよならして、新しくベージュのコートとマフラーを買いました。あわせて1000円もしませんでした。チョイスしてくれた笛の姉さんには感謝感激です。
◆新ケータイ
変な動きをするようになったので、3年9ヵ月使った黒い携帯とさよならしました。新しい携帯はドコモのL-04B。色はベージュ。形がとてもキュートでシンプルで一目ぼれ。最初から入ってる待ち受けもおしゃれ。スケジュール帳も使いやすい。唯一の難点は、「ー」の位置が#キーから0キーに変わったこと。これは大変打ちにくい……。
◆酒
家で飲むなら日本酒。外で飲むならビール。ビール持ってると反射的に「お疲れ様っす!」って言ってしまう罠。お酒はゆっくりご飯食べながら飲むのが好きです。ご飯なくてもだらだら飲むのが好きです。ごはんのおいしい居酒屋好き。