2010/05/26

ちょっとまってほしい

もう6月になろうかというのに、寒いです。ゴールデンウィークなどは暑くて暑くて、春来てないのに夏来るかなあとか言ってたのがウソのようです。夏も来ないんじゃないのか。ころころ気温が変化するので、体がついていきません。あと、テレビをここ何年かまともに見ていないので、今世界で何が起こってるのかもあんまり知りません。お陰で知ったような口もきけずにおろおろしています。地球大丈夫かな? エコとか北極とかどうなってるんだろう。

近頃ブログなぞ書く暇はないのに、忙しい時に限って文章が書きたくなります。今現在も、やることを大量に抱えて8月31日の中学生みたいな有り様のくせにブログ書いてます。いいのか、そんなんでいいのか!? 
……でも何個か書きたかったこともあるので、呟いておきます。

「忙しい時に限って」
何かがしたくなります。今やりたいことは、書道と動物鑑賞とぬいぐるみ作りです。
・書道
と言うより、単にでかい筆で半紙に文字を書きたいだけです。それも、思いっきり意味のないことを書きたい。「ナイロン樹脂」とか「アノマロカリス」とかそういう事を書きたいんです。昔習字を習っていましたが、筆がでかくなるにつれて字が上手くなるという変な奴でした。鉛筆が一番下手で、なんていったか忘れたけど書き初めレベルのでかいのが一番得意でなんか賞も取ってたような気がします。でも筆がいくらうまくても全く日常で役に立ちません。いまだに鉛筆はへたです。
・動物鑑賞
動物園と水族館に行きたいです。ちょっと前にとてもレトロというか洗練されていなくて素敵な、裸電球が吊ってあって鳥かごがひたすら並んでいるペットショップの前でじっとしていたことがあったのですが、本当に癒されます。かごに入れられている生き物側としては迷惑かもしんないですが。そして言わずと知れた海の生き物好きな私ですが、動いている海の生き物は中々見れないので悶々としております。ジンベエザメとか、泳いでるマグロとか、イカとかクラゲが見たい。
・ぬいぐるみ作り
最近服が増えてきて、あんまり着ない服をどうしようか迷い中です。普通のぬいぐるみとか、わけのわからないぬいぐるみとか作ったら楽しくて実用的なものも作れるんじゃないかと思っています。なぜか綿も持っているし。水中のペンギンのシャーっとしたフォルムが素敵だなあと常々思っているので、ペンギン作りたいなあとぼんやり思っています。ペンギン抱き枕……想像するだけで良い感じです。これが俗に言う萌えという感情でしょうか。ただ私は、「萌え」より「ときめき」という言葉の方が好きです。

「夢を見すぎ」
最近の悩みは、とにかく毎夜毎夜かかさず夢を見ることです。リアル日常系から、カオス非日常系までさまざまです。家で寝ても、家じゃないところで寝ても、電車で居眠りしても夢を見ます。あまりにも夢見がちです。
一昨日見た夢は、黄色い鳥をひたすら素手で捕まえる夢でした。飛ぶというより、走る方が得意そうな鳥でした。もしかしたらチョコボだったのかもしれませんが、ぼんやりとしか覚えてません。次の日の朝に、はからずもSHEENAのギタリスト、宏史氏が子供のころに素手で鳥を捕まえた話をしていたので、こういうひねった正夢だったのかと納得しました。「これ、夢で見た光景だ!」という妙なデジャヴがたまーにあります。そういえば私の二つ年下の妹は、しょっちゅうそんなことを言っていました。

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もうちょっと書きたいことがあったはずですが、これ以上書いていると本当に宿題がやりきれずに始業式を迎えた中学生のように、「やったけど持ってくるのを忘れました」などと言いわけをする羽目になるのでこの辺でやめておきます。

やりたいことと、やらなければならないことが多すぎます。
良い感じです。さあ走るぞ。

2010/05/04

ニーチェと

春らしい春が来ないなあと思っているうちに夏になりそうです。日差しが強烈で、夏の気配がじりじり迫っているのを感じますね。私は夏が本当に苦手なので戦々恐々としつつ。昨日まで重そうなコートを着ていたバイオリンのお兄さんも、さすがに冬装備を解きました。そんなこんなゴールデンウィーク。名古屋遠征をしているメンバーもいます。

読み終わったためしのない、ニーチェの「ツァラトゥストラ」をまた読み始めました。“神は死んだ”で有名なアレです。私は比較的、本をよく読む方ですが、ツァラトゥストラと新約聖書は何回挑戦しても最後まで読み終わりません。何かのタイミングでふっと手から離れていきます。……今度こそ最後まで読みますよ!

ツァラトゥストラで今のところ一番気に入っているのは、第一部の「山上の木」というくだりです。木の根元に座っている、疲れた顔の青年にツァラトゥストラがこう語りかけます。
“(前略)――が、そういっても、人間は木と同じようなものだ。高みへ、明るみへ、いよいよ伸びて行こうとすればするほど、その根はいよいよ強い力で向かっていく。地へ、下へ、暗黒へ、深みへ――悪の中へ”
これに続く青年とツァラトゥストラの対話にはなかなか興味深いものがあります。この本は哲学書に分類されてはいますが、言葉はとても分かりやすく、また基本的に物語なので普通に楽しめます。私の持っているのは中公文庫から出た文庫で、訳者は手塚富雄氏。訳注がとても親切でおすすめ。私はしばらくツァラトゥストラを持ち歩いています。……ただし、疲れている時と寝る直前に読める本ではないですね(笑

2010/05/03

鳩を踏んだ

夢を見ました。起きた直後は不鮮明だったその内容が、しばらくぼんやりしている間に「鳩を踏んだ」という言葉とともに一瞬で鮮やかによみがえりました。一昨日の朝のことです。
座っていた所から勢いよく立ちあがったときに、足の裏に妙な弾力を感じて振り向くと、太った鳩が仰向けに転がっている……というとても短い夢。叫ぶでもなく駆け寄るでもなく、不快でもなく、うすい膜のような妙な罪悪感だけが根を張っていました。現実でも感じたことのあるような、既視感を伴った感覚がまだ付きまとっている気がします。

心の在りように悩みます。良い方向に向かおうとしていたはずが、いつも一瞬で台無しにしてしまいます。ばかな自分を突き飛ばしたくなります。それでも何回でも同じことを繰り返すのだから、世話がないというものです。取り繕うことさえまともに出来ないのか、と思ったりもします。私は自分が嫌いです。いや、なんだかんだ言って結局自分が可愛いのでしょうか。それよりも、もっと大事にしないといけないものがあるはずなのですが。幸い私にはまだ、怒ったり諭したりしてくれる人がいます。ただ、いつまで続くかわからない現状に甘えてしまうのは、本当に悪い癖です。

確固たる信念というものが、私には欠けているのかもしれないな、と最近思います。これだけは、という何かを煮詰めたもの。思想と言うと宗教じみてきますが、こう在りたい、こう生きたいという何か。その人の輪郭を作っている一番内側のエッセンス。ともすれば必要最低限で妥協してしまうのでは、どうもこうもなりません。別に奇をてらう必要はなく、誰かと比べるなどもってのほかなのですが、それを持って貫き通せるというのがいわゆる強い人間というものではないかと思います。と、ここまで言っておいて自分の事となるとさっぱり分かりません。何がしたいのかも分かりません。長い間足踏みをしているような気になってきます。そして、これに“モラトリアム”と名前をつけてみると、とたんに馬鹿みたいになってくるから不思議です。そんな悠長な問題じゃないんだよ、とエリクソンを引っぱたきに行きたいですが、それも迷惑な話ですね。

今日とて何も解決しないまま、明日を迎えることになるのでしょうか。そもそも、存在しない“解の公式”的なものを私は求めているのでしょうか。こんなつまらないことで悩んでいる場合じゃないのに。

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こんな良い時節にこんな事を言ってるのが、我ながら残念でなりません。どうか、子供の戯言と笑い飛ばしてくれますように(無理かな……笑)。
ただ、文字にしてみればわかることもあったりして、と思ったりするのです。