2010/05/03

鳩を踏んだ

夢を見ました。起きた直後は不鮮明だったその内容が、しばらくぼんやりしている間に「鳩を踏んだ」という言葉とともに一瞬で鮮やかによみがえりました。一昨日の朝のことです。
座っていた所から勢いよく立ちあがったときに、足の裏に妙な弾力を感じて振り向くと、太った鳩が仰向けに転がっている……というとても短い夢。叫ぶでもなく駆け寄るでもなく、不快でもなく、うすい膜のような妙な罪悪感だけが根を張っていました。現実でも感じたことのあるような、既視感を伴った感覚がまだ付きまとっている気がします。

心の在りように悩みます。良い方向に向かおうとしていたはずが、いつも一瞬で台無しにしてしまいます。ばかな自分を突き飛ばしたくなります。それでも何回でも同じことを繰り返すのだから、世話がないというものです。取り繕うことさえまともに出来ないのか、と思ったりもします。私は自分が嫌いです。いや、なんだかんだ言って結局自分が可愛いのでしょうか。それよりも、もっと大事にしないといけないものがあるはずなのですが。幸い私にはまだ、怒ったり諭したりしてくれる人がいます。ただ、いつまで続くかわからない現状に甘えてしまうのは、本当に悪い癖です。

確固たる信念というものが、私には欠けているのかもしれないな、と最近思います。これだけは、という何かを煮詰めたもの。思想と言うと宗教じみてきますが、こう在りたい、こう生きたいという何か。その人の輪郭を作っている一番内側のエッセンス。ともすれば必要最低限で妥協してしまうのでは、どうもこうもなりません。別に奇をてらう必要はなく、誰かと比べるなどもってのほかなのですが、それを持って貫き通せるというのがいわゆる強い人間というものではないかと思います。と、ここまで言っておいて自分の事となるとさっぱり分かりません。何がしたいのかも分かりません。長い間足踏みをしているような気になってきます。そして、これに“モラトリアム”と名前をつけてみると、とたんに馬鹿みたいになってくるから不思議です。そんな悠長な問題じゃないんだよ、とエリクソンを引っぱたきに行きたいですが、それも迷惑な話ですね。

今日とて何も解決しないまま、明日を迎えることになるのでしょうか。そもそも、存在しない“解の公式”的なものを私は求めているのでしょうか。こんなつまらないことで悩んでいる場合じゃないのに。

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こんな良い時節にこんな事を言ってるのが、我ながら残念でなりません。どうか、子供の戯言と笑い飛ばしてくれますように(無理かな……笑)。
ただ、文字にしてみればわかることもあったりして、と思ったりするのです。

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